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「民主主義の学校」

午後から、地区の神社の新穀感謝祭が行われた。一年の収穫をお祝いする祭りである。

年に三回、このような祭典が行われる。

春は豊作を祈る祈年祭、夏は収穫前の祭典、秋は収穫の感謝祭という流れである。

「地方自治は民主主義の学校」と、政治学や法律学の世界ではよく言われる。

ふ~ん、そういうものか、と学生時代は知識の一つとしてとらえていた。

ところが、これが実感できるのが鴨川での暮らしである。

学生時代は、やりたいことをやりたいようにやってきていたし、それはあくまでも個人の範囲か、所属する組織の中で合意を取れば、進めることができていた。

しかし、村では違う。

たまたまそこに生まれた、あるいは引っ越してきただけでその地区の成員となり、ある程度の役割を果たさなければならなくなる。

そんなところで自分の意見ばかり主張していては、「あの人は勝手者だから」と言われてしまう。

(これは、地元ネイティブであっても言われているので、移住者だから言われるわけではない。)

もちろん、主張するのは別によいのだが、主張の目的が、集団として物事を動かすことにあるとき、それにはやはり成員の総意を得るべく振る舞うべきと考える。

総意が得られると行動に正統性が備わるのだと思っている。

例えば、何か要望したいと思ったときに「そういうものは文書で出すものだ」と言われることがあった。何とも面倒くさく、迂遠な方法をとるものだと思ったが、実際、文書で出すということは、こちらもそれなりの覚悟を持って提出し、受けるほうも何らかの対応を取らざるを得なくなる。

感情的な対立構造にまきこまれるのではなく、きちんと手続きを踏んでいく。

このやり方が、物事の進行に違和感をもたらさないのだと思う。

実は、地区で行っている年中行事に対して、今声が上がっている。

それについても、平等に区民に対して意見を求める姿勢は好感が持てる。

ある程度意見が集められたら、その結果に対しては大枠では従うことになるだろう。

私は、きちんと会社に就職したことがないので、いろんな社会常識が抜けている可能性が高いのだが、

周りの人たちが受け入れてくれているので、かろうじて生を永らえているといっても過言ではない。

「民主主義の学校」というのは、具体的には地方自治・地方政治の中で人々が政治的な活動等に参画し、意見集約、実行していくことで、それがひいては国政へ反映される基となるといったような概念を指す言葉なのだろうが、村の暮らしは「人が集団の中で生きていくには」ということを考えさせられる実地の練習の場となっているのだと思う。

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